今は高度情報化社会で、いろいろな情報が飛び交っています。
玉石混淆でああ言ったらこう言ったという感じで議論されています。
人によって言うことが違いますね。

あの人は●●は正しいと言ったけど、
別な人は●●は間違っていると言っている…
どっちが正しいの?

あなたはそのような疑問を持ったことがあると思います。
かつての僕もそう思っていました。

その秘密とは…

『人によって背景やコトバの定義が異なる』

ことです。

我々地球人が人に伝えるために使う道具である『コトバ』、
これは本当っっっっに不自由な道具なのです!!

人は思っていることを…思念を人に伝えるとき、
言語化して相手に伝えます。
それは当たり前のことですが、多くの人は重要な事実に気付いていません。

それは、

『言語化した時点で元の思念から情報が大幅に削減されている』

という事実です。

インターネットでデータをダウンロードしたとき
通常はデータは情報欠落することなくパソコンに渡ります。

けれどもコトバというのはそういうわけにはいきません。

話し手(書き手)が言ったコトバを聞き手(読み手)は意味を理解して
自分の思念として再構築しなければなりません。
そして再構築された思念は元の思念とは異なります。
決して同一になることはありません。

なぜなら、話し手と聞き手はまったく違う人間だからです。
考え方も価値観も頭の中にあるデータも背景も知力も異なります。

思念を言語化するということは、
音声データであるwavファイルから音質が超劣悪なmp3ファイルに変換されたようなものです。
wavは生の音声データですが、mp3はサイズを小さくする代わりに音質が劣化します。
mp3から元のwavを復元できないのと同じです。

自分が言ったことが相手に誤解されたということは、
思念が再構築された結果が元の思念と大幅に異なるということです。

そこで、心掛けてほしいことは、相手のコトバの真意を見抜くことです。
なるべく元の思念に近づけるように思念を再構築することです。

コトバの真意は、往々にしてコトバそのものに現われていない、言外にあります。
別な言い方をすると「行間を読む」ともいいます。

では、行間を読めるようにするにはどうすればいいでしょうか?

そのためには、『知性』を上げる必要があります。
知性とは考え、理解、判断する力のことです。

知性を身に付けるためには、あなたはたくさんのことを学び・経験しなければなりません。
齢を重ねさえすれば身に付くものではなく、貪欲に学びをすることでしか知性は身に付きません。

でも、学びをする場合でもコトバから学ぶから、そのためには知性が…

って言いたくなる気持ちもわかります。

その通り、学びと知性の上昇は螺旋を描きます。

キリがありませんね…

では、どうすればいいでしょうか?

僕が提案することは、師匠(メンター)を見付けることです。
あなたが実現したいことを実現している師匠、憧れの師匠など、
ハートに響く師匠を見付けることです。

師匠に直接教えを受けられなくても、本を漁ってみるなどして、
自分のハートに響く人を見付けてみてください。

そして、その人を師匠と決めたら、その師匠から徹底的に学び取りましょう。
そうすることで学びは深まってきます。

ある程度師匠から学んだら、他の人からも学んでみましょう。
同じ事柄でも別な視点で解説されていたりして、とてもおもしろいです。

それを繰り返すことで本質が見えるようになってきます。

人生は死ぬまで学び、学び、学びの連続です。
学べば自分としての考え方がしっかりしてきます。

結局、物事を本当に理解するためには
『学び続ける』
しかありません。

厳しいですが、それが人生というものです。

御一読ありがとうございます。共感していただければ幸甚です。