あなたは何かに怒っていますか?
人間、生きていれば怒りを覚えるような理不尽な出来事は起きるものですよね。

「喜怒哀楽」というように、怒りという感情は自然なものとして僕達は教えられてきました。
けれども実際は、この世に怒るべきものは何もないのです。

信じられないでしょう?

けれども、怒るべきものは何もないというのが真実です。

なぜなら、、

怒りはたとえ義憤であったとしても、マイナスの感情です。
マイナスの感情は潜在意識を汚してしまいます。
それどころか、怒りはブーメランとなって自分に跳ね返ってきます。
それも何倍、何十倍にもなって…怖いですよね。

少し前の自分は、よく怒っていました。

自分の意見を押し付けられてどうしようなくなったときとか、
自分の部屋に突然入られたときとか、
自分の行動を逐一監視されたときとか、
税金を有効に使ってないのに増税しまくる政府とか、
目標を達成できなかった自分とか…

本当によく怒っていました。

でも、今よく考えてみれば、怒ったところで
事態が好転したためしがなかったことに気付きました。

怒りはただ、事態を悪化させるだけだということに気付きました。

引き寄せの法則に照らし合わせて考えてみれば、
怒りを覚えるような出来事は自分が引き寄せたことになります。
原因と結果の法則…つまり自分の過去の言動がその物事を引き寄せたのです。

本当に法則というものはうまくできているものです。

さらに内観を続けてみると、自分がされてきたことというのは、
たいてい自分が相手にやってしまっていることでした。

自分が相手に対して無頓着であったがために、逆にそれを相手にさせてしまったのです。

ところで、怒りについてひとつエピソードを紹介します。

僕が尊敬しているある女性は、めっっったなことでは怒らない人です。
ところが彼女は貸したお金を返さない人に対して激怒しました。
彼女が怒るということは、よっぽどのことであり、「事件」です。
相手には返す金銭的余裕があり、しかも仲介者もいるにもかかわらず、
その人はお金を返しませんでした。

「貸したお金は返されなければならない」
人として当然のことですよね。
たまった怒りのため、彼女は視野狭窄に陥ってしまいました。
彼女は4000人もの願望実現に貢献した超人気行動変革コンサルタントで、
広い視野を持つようにクライアントに教えている人です。
その彼女自らが視野狭窄に陥ってしまったのです。

ですが、そこはさすが彼女、彼女らしい方法で立ち直ることができました。
ある日、彼女は怒りのせいでエネルギーに滞りがあることに気付きました。

「貸したお金は返されなければならない」
という間としてごくごく当たり前のことであっても、
それにこだわっている自分に気付いたのです。

そのこだわりを解放したとき、
富の流れが全方向から流れるようになり
後日おもしろいことがおきました。

それは、税務署からの連絡が来て払いすぎた税金が戻ってきたのです。
しかも貸した金額と同額なのです!!
すごいことだと思いませんか?

このように、人として当たり前・正しいことがなされてない相手に対しても
怒るということはよくないことがわかります。

怒りはストレスホルモンを生み出します。

けれども、あることをすれば同じ事態であっても
成長ホルモンを分泌させることができるのです!

20歳過ぎたらなかなか分泌してくれない成長ホルモン、
大人になっても出てほしいですよね。

成長ホルモンが分泌されれば、いつまでも若くいられる、
アンチエイジングできますから!
とくに女性にとっては朗報ですよ(笑)

それは
嫌いを消す方法でもお話したように、事実と解釈を分離することです。
起きてしまった事実は変えられませんが、解釈を変えるのです。
解釈を変える、これは魔法使いではない我々が使える唯一の「魔法」です。

嫌いを消す技術同様、怒りに対してもザ・パワーから同様の言葉を授けます。

愛の力はあなたにあらゆる分野での感情の個人トレーナーを提供します。そのトレーナーはあなたが日々出会う普通の人々の姿で現れます。しかし、彼らは全員、あなたが愛を選ぶように訓練をしてくれるのです。

怒りを感じる出来事があれば、それを成長の材料にしてしまうのです。
「こうすればよくなる」「こうしていくと、もっとよくなる」
と考えることによって、普通の人であれば怒ることであっても、あなたは成長ホルモンに変換させることができます。

まさに個人トレーナーですね。

僕は以下のようなアファメーションをします。

「たとえ何が起きようとも、成長へとつなげることができます」

人間関係ではなくて社会状況であったとしても、
自分の解釈を鍛える機会です。

増税に対する怒りならば、
「税金を多く納めることは国家への奉仕じゃないか」
と解釈できます。


とはいえ、それは簡単なことではないです。

あのイエス・キリストだって、怒ったことがあるのですから…

本当の敵は怒らせた相手ではなくて、怒ってしまう自分自身なのです。
怒りという感情との闘いは、一生かかってなしとげるべき修行だと思います。

御一読ありがとうございます。共感していただければ幸甚です。